CRPGと儒教

殆んどみな似非ヨーロッパ人であるCRPGの王様たちが、標題の儒教のいいつけを厳格に遵守しているさまは驚くほどだ。例外はサマルトリア王くらいか。そう思いませんかid:whoeverさん? (と、この種の話題が好きそうな人をいきなり名指ししてみる)

笑〜、呼ばれた以上は乗らないかん。取りあえずanotherさんのところにコメントする。

whoever 『お呼ばれると、口を出さずにはいられない私の性格を良くご存じで(笑)
実在のヨーロッパ諸国の王族には面識が無いので確かなことは言えませんが・・・権力や権威を次代(子弟)へ順当に引き継ぐ為にも意図せず儒教的考え方の王様が多かったのは驚く程では無いのではないかと考えます。ん?そう言う話ではない?(笑)
マジレスすると、WIZには国王と面する画面はありません(テキストのみだ)がウルティマの画面がその後のCRPGに影響を与えた事は間違いないのではないかと。新たなインターフェイスを開発するよりも、おそらく当時ごく限られたCRPGユーザーが既に見慣れた(と思われる)画面をお約束として構成した方が、混乱も少なく、受け入れやすいと考えたのではないかと思います。
う〜ん、あまり面白く無い答えだな。では、こういうのはどうでしょう。人間のアルゴリズムとして、画面の上部へ進めていくほうが「新たなる状況の開拓」や「力に対しての欲」を表現しやすかったから。擬似見下ろし画面を構成すると、主人公は上部に向かう際、かならず背面をこちらに見せる(イメージ的にも)事になるため、このような錯覚が起きやすく、またこれを利用しやすいから。
どうでしょうか?振ってくれた枕に乗っていますか?(爆)』

another 『whoeverさんこんばんは。さっそく乗ってくださいまして(笑)。
実際問題としては、おっしゃるとおり、NPCと向き合う画面構成にしたほうが主人公への感情移入がしやすいから、ということになると思います。が、視覚効果上ほぼ必然的に相手が上=北という構図になったのが、偶然とはいえ、洋の東西を飛び越えて儒教の格言に一致してしまったところが面白いと思ったのでした。』

で、もう少し考えると・・・
やはり関連性は否定できないかなと。全てがあてはまる訳ではありませんが、ゲーム制作者(特にファンタジーRPG系)の方々には東洋思想に傾倒されている方が多く、そのキャラクター設定や世界観に多くの影響を与えている事は周知の事実*1
私の知識不足の為、他の儒教的格言を例示する事はできませんが「力ありき」で統合・離散を繰り返す中世ヨーロッパ史を舞台にしても、上記コメントに書いたような意志や血を重んじるような発想の中にはとけ込み易いのではないでしょうか。現実にどうだったかはわかりませんが、アーサー王の伝記や件の英雄モノ、またはグリム童話においても儒教的思想は感じられ*2ます。
したがって、これらの話を(無意識的に)下敷きにしたものに儒教との関連性がみられるのは当然の帰結という所でしょう。


 ・・・本気で読まないでね(笑)

*1:ソースを示せなんて無粋な事は言わないでね

*2:全てがそうだと言い切らない所が私のズルイ所