死に至る病

ここん所、ちょっと鬱が入っているようだ。
私1人が鬱々しているのは嫌なので、みんなにも移してあげたい。


『貴方には人に自慢できる特技・特徴がありますか?』


スパッと答えられたあなたは羨ましくも恵まれた人です。その特技・長所を使って、世の中を乗り切っていきましょう。
で、口籠もった貴方。ちょっと私の話を聞いてください。
特技・特徴が無くとも、貴方はなにかしらの形で社会に属しているはずです。社会人として企業に属していたり、学生として学校に属していたり。又は市民として地域に属していたり。そのカタチは様々ですが、もしも貴方がたった今居なくなったとしたら、その属している社会はどうなりますか?
企業であれば、とりあえず業務等の混乱は起こるかもしれませんが、それは一時のもので2〜3日もすれば何もなかったモノとしてその混乱は収まってしまうのではないでしょうか。同僚(又は同級生)に「ああ、そんな人も居たねえ」と努力しないと記憶の片隅から呼び出してもらえないような存在ではないですか?
居なくなった人に対しての想いは、良くも悪くも時間が解決してしまうもの。


では、貴方の社会に対しての存在意義は?


今、貴方がそこに存在する事に対して意味がある。な〜んてヌルい事は意味がありません。第一、貴方の存在自体があやふやなのですから。自分が存在しているかどうかは、かなりの部分で周囲に頼っています。貴方の行動が周囲の人々に認知されるからこそ、貴方の存在が認められるのです。
では、周囲に対して影響する事ができない人は存在していないも同然?
哲学や社会学的な見地は解りません。しかし、現状の社会では「同然」どころではなく、「存在していない」と言い切る事ができるのではないでしょうか。


電車に乗っている時に眺める景色。そこには多くの建物や民家等の生活臭があります。
しかし、その窓一つ一つに生活している人達がいる事を実感できますか?
その窓の中に新規事業起案に燃えるサラリーマンや、子供の運動会の為に稲荷寿司を作っているお母さんがみえますか?
見えると言う貴方は想像力がありすぎです。空想力と言って良いかもしれない。
普通、視界に入る数十、数百の窓に生活している人達を実感する事は無理です。だからこそ人は自分の持っている概念を使って「想像(創造)」するのです。しかし、この想像には実状は何もついてこない。せいぜい隣のおばさんの噂話程度の肉付けだけ。
と、なればそこに住んでいるであろう人々は貴方にとって「存在していない」のではないでしょうか。
そしてその人達にとって貴方は、「存在していない」のではないでしょうか。


貴方は何を拠り所として「自分が存在する」と言うのですか?