ネクタイの必要性

ネクタイ・・・適当な画像がなかったん



id:DocSeri さんがネクタイについて文句を言ってる。(http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20040630


うん、当然の論旨。私もそう思う。


ローマ時代に弁士が街頭に立って演説をする時に、大切な喉を守るためフォーカル(Focale)と呼ばれる一枚の布をいていたのがネクタイのルーツだとも言われているが、一般的にネクタイの起源は1656年、ルイ14世が、クロアチアから派遣されてきた兵士の服装に興味を持ったことに端を発する。バルカン半島クロアチア(旧ユーゴースラビヤ)から、フランスヘ宮廷警護のためにやってきた兵士および騎士約1000名は、防寒の為と部隊を表すために首に布切れを巻き付けて垂らしていた。
何事にも自分が流行の最先端ではないと気が済まないルイ14世は、このスタイルを格好いいと勘違いして早速お抱えのテーラーに、最高級の生地を使って同じものを作るように命じ、自らの首に巻き付け得意げに披露した。首元は暖かく肌触りがよい、お洒落を演出する小道具が一つ増えたと、大変気に入ったらしい。
時の権力者が身に着けたことで、取り巻きの王侯、貴族から軍人、学者などの一般人へと、たちまちのうちに拡がっていったという。
ネクタイをフランス語で「クロアト人の」という意味を込めて、クラヴァット(Cravate)と呼んでいるのは、こんな理由だそうだ。
ヨーロッパ全土に権力を及ぼしていた王が、田舎兵士が野良仕事の延長のように首に手拭いを巻いたスタイルに心を惹かれたというのも何だかなぁ。


で、由来はともかく、日本の夏は気温・湿度とも世界最高水準で、ネクタイを結んで背広を着るのにはかなりの忍耐力が要求されるのは誰でも解る。
首が苦しいから、夏は首周りが暑くてたまらない、機能的ではない、ぶらぶらして邪魔になる、など様々の意見は当然の話。ネクタイ(及びスーツ)を着用していると安心感が増し、無難に世渡りが出来るというサラリーマンの最大公約数となっている現状は誰もがおかしいと感じている筈。
しかし、学者や政治家が先頭に立ってネクタイ(スーツ)不要論を打っても成功した試しがない。政府が省エネの見地から、夏の室温を28度以下に設定しないために、ネクタイ(スーツ)を省略しては・・・と呼びかけても、ビジネスマンの夏のスタイルはいっこうに変化しない。
相変わらずスーツを着てネクタイを締め、汗をカキながら満員電車で会社へ出勤。外回りの営業は、焼け付いた舗装道路を踏み締め立ちのぼる陽炎の中、次の訪問先へと急ぐ。路面温度40℃以上でのこの行動はまさに修行の一環か。


盛夏にはスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを締めずに人前に出ても失礼ではないという常識が広く普及すれば、ただちにスーツ・ネクタイを辞めたいと言う人は多い。営業・接客は「相手の心証を良くすることから始まる」と言われる以上、上着・ネクタイ無しで良い印象を持ってもらう事が出来ないと考えるらしい。国際的に紳士の服装と認められている体裁で身を固めると、服装についてとやかく言われることがないという安心感がそうさせているようだ。
「世界的な範囲で認知を受けた着装マナー」なんてモノがあるかどうかは定かではないが(笑)
まさに日本人的深層心理による呪縛で、ネクタイとは別れられないのだろう。


ここまでは誰でも知っている話。しか〜し、DocSeri さんは大事なところを見逃している。
このネクタイを締めるという行為には他にも意味があったのだ。(襟元のお洒落とかセックスアピールとかは却下)
長距離ランナーがある限界点を越えた時に起きる「ランナーズハイ」は有名だが、スポーツには多かれ少なかれ、この手の話がある。これらは主に脳内の酸素保有量と関係がある(他にもあるけど)事が解っている。
つまりネクタイを締める事で一番重要なのは頸動脈を圧迫制御し、軽い酸欠状態からのトランスを引き出す事にあったのだ!これによって、仕事能率はあがり、上司への反抗も少なくなり、組織内の規律を整えやすくするという、一石三鳥の重要アイテム。まさに DocSeri さんが上司から求められているモノがこれだったのだ(笑)


さあ、貴方も明日の朝からネクタイをしよう。
軽い酸欠がもたらす薔薇色の世界。充血した目と鬱血した顔が並ぶ恍惚の世界。
あっ、私は遠慮しておきます。ウインザー・ノットでさえ覚えられませんから。