夜空は何故暗いのか -その1-

何を今更と思いますか?
太陽が隠れているのだから当然ですか?
この科学的に含蓄のある深遠な問題の明確な理由を私はアシモフ先生以外から、ちゃんと説明された覚えが無いのです。理由を知った時は、おぉ成る程。と思ったのですが、あれから随分と時も経ち、うろ覚えとなりつつあるので、確認のつもりでちょっと書いてみようと思う。


昔の天文学者に同じ質問をしたら、おそらく「太陽が隠れているからだ」と答えるでしょう。
更に重ねて月や星の光では太陽に変わることはできないのかと聞けば、「星の光は暗すぎて夜空の星を全て集めても太陽には及ばない」と答えることでしょう。事実、限りある夜空の星々の見た目の明るさを集めても太陽の何億分の一にしかならない。
しかし、19世紀に大望遠鏡が実用化されるとこの論拠は揺らぎはじめる。
次々に発見される新しい星、星雲、星団。それこそ星の数程(笑)の星があることが解ってしまった。勿論、これらの星のほとんどは肉眼では見えない、従って夜空の明るさには寄与しないという理屈もある。が、この理屈は事実と違う。
例えば、肉眼で見える最も遠い所にあるモノはアンドロメダ星雲である。一つ一つの星は認識できないが、全体が星雲としてまとまると見る事ができる*1
つまりどんなに遠くの星でも、それがどんなに暗くても、全て夜空の明るさに寄与する事が出来るはずで、なおかつそれの一つ一つが十分に密集していれば、肉眼でもその恩恵が感じられるはずだ。


上記を踏まえて、19世紀の天文学者オルバースは簡単な模式図を考えた。
宇宙空間を自分達を中心としてタマネギのように何層にも重なっていると考える。それぞれの層は十分な幅があり、それぞれエリアには幾つかの星を含むことができる。
さて、それぞれの星が同じ光量を投げかけてくるとすると、その星から届く光量はそれぞれの距離の自乗に反比例する。AがBの三倍の距離にあれば、Aからの光はBの九分の一になる。
これはオルバースの模式図のタマネギの皮にも当てはめる事ができる。
地球から3000光年の皮に含まれた星々の光は、1000光年の皮からの光の九分の一の明るさとなる。だが、この皮は外側へ行くほどに厚さは同じだが、体積は大きくなっていく。それぞれの皮は球の表面積と同じ理屈なので、半径の自乗に比例して増える。2000光年の皮は1000光年の皮の4倍、3000光年は1000光年の九倍という事だ。
模式図として星々はそれぞれの皮に均等に分布すると考えれば、体積が4倍になればそこに含まれる星の数は4倍、9倍の体積には9倍となることも当然である。


と、言うことは?


三倍の距離にある星々からの光量は九分の一だが、星々の総量が九倍になるのだから、1000光年の皮と3000光年の皮から届く見かけの明るさは同じと言うことになる。
宇宙を無限のタマネギと考えるのならば、この皮は無限に続き、したがって無限の光(?)が地球に届く事になる。この様な夜空は暗いどころか、無数の星に埋め尽くされた光としか認識できないだろう。
しかしながら、実際にはそんな事はなく夜空は暗いままだ。これをオルバースのパラドックスと言う。


当然、どこかの仮定か論理に間違いがあった事となるわけだが、随分と長くなってしまったので以下次回に譲る。(続けるつもりなのか?)

*1:だから誰かにあなたの目はどこまで見える?と聞かれたら200万光年と答えればよい